私の転職歴 その① リストラと漂流の始まり

仕事

こんにちは。いきなりの固い書き出しで恐縮です。

今回は、私のこれまでの転職歴を、何回かに分けて書いてみたいと思います。

 

まずは最初の会社をリストラされるまでをお届けしたいと思います。

なにしろ現在(2019年5月上旬)は社内失業中でして…

この転職歴シリーズの結末がいきなりネガティブで申し訳ありませんが、お付き合い頂ければ幸いです。

私の転職歴

私は高卒です。

地元の中小の会社に就職してから、うだつが上がらないまま昇進もしませんでした。

自分で書いていても気持ちが底抜けに落ち込みますが実際にそうだったので仕方ありません。

 

それでも地味に働いて、その会社で一生を終えるつもりでした。

 

もともと出世欲もありませんでした。

出世なんて、そんな疲れる事より平凡にすごしたり、面倒くさい事に巻き込まれずに生活したい一心でした。

無難に働き、それなりの収入があれば満足でした。

 

仕事自体は自信満々に「好き」とは言い切れませんでしたが、辞めたいま振り返ると、長く勤めていた事もあって愛着があったのだと思います。

忙しい時は嫌になったりグチを言ったりしながらも、少なくとも、人並みに会社に貢献しているという自負はありました。

リストラで一気に弾ける

そんな私にも大きな転機がやってきます。

リストラです。

当時私が勤めていた会社は、IT化の逆風をモロに受ける業種でした。

印刷業界が主要な顧客で、急速に進むペーパーレス化に加えて業界の再編が進み、どうしたって規模は縮小傾向にありました。

私がいた物流部門もその流れで激変していきました。

売上や利幅は年々落ち込み、コスト削減のための中高年層の段階的なリストラが断行され、縮小する業界事情に対応するための同業他社との合弁会社が立ち上がり、私のいた部門は全員出向しました。

それまでライバルだった会社の人たちと同僚になるという経験もしました。業種も仕事も同じでしたが、それぞれの会社の社風が違うために最初は色々ありました。

しかし同じ現場で一緒に苦労している内に、分け隔てのない仲間になれたと思います。

それはとてもいい経験でした。

ただ、その後が悪かった。

立ち上げた合弁会社がある程度の軌道に乗った矢先のことです。責任者との個別面談が言い渡されました。

面と向かって言い渡されたのは取引のある運送会社への「転籍」です。一部の管理職を除き全員転籍でした。

転籍と言えばまだ聞こえは良いのかもしれませんが、要は今の会社からのリストラです。

グループ全体を含めた会社の経営事情が芳しくないのは理解していました。しかし、そういう現状に対応するための合弁会社立ち上げであり、我々社員の出向だったのではないか。だからこそ度重なる残業や休日出勤にも耐えて来たのです。

合弁会社立ち上げから間もないこんな時期に言うくらいだから、われわれ出向社員たちの転籍は最初から決まっていたのではないか?リスクを考慮し、軌道に乗ったタイミングで言うつもりだったのではないか?

つまり、最初から切り捨てるつもりで利用しただけだろう

そう思いました。

面談の後、頭の中が真っ白になったまま、取引先へ納品に向かいました。

納品の帰り道、コンビニに寄りました。気づいたら、2年くらい辞めていたタバコに火をつけていたのに気づいて自分でも驚いたのを覚えています。

長い失業期間

転籍は面談から二年後と告げられました。一見温情があるようにも見えますが、多分会社側としても過度に刺激して問題を起こしたくなかったのだと思います。

また、その二年間でも他の部門から異動して来る人達がいました。その人達もここに来た以上は転籍は免れない。まるで自分のいる部門が社員の姥捨て山みたいに思えました。

俺たちは不用品なのか…そんな気持ちで毎日過ごしていました。

その後わたしは二年を経て、最終的には転籍の話を蹴り、

「会社都合の整理解雇」という形で退職しました。

退職しました、と言うと自主的な印象ですが、

要するにリストラです。

会社から不要宣告されてリストラされたわけです。

そしてその後、私の長い失業生活が始まりました…。

ある意味ここからが本番なんですが、

この記事もちょっと長くなってしまったので、続きはまた別の記事にします。

なんだか週刊マンガの打ち切り最終回みたいで申し訳ありませんが、必ず次回の記事も書きますのでどうか気長にお待ち頂ければ幸いです。

それではまた。

ごきげんよう!

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