私の転職歴 その④ 仕事と生活

仕事

こんにちは。

前回の記事は旅行から帰ってきて再就職が決まったところで終わりました。

私の転職歴 その③ 旅行で自分探し→自分に無いもの発見

今回の記事では、

その後の様子をお伝えします。

 

憧れより自分ができることを選んだ

私が採用して頂いたのは地元の運送会社でした。

 

それまで沢山の企業に応募しては断られ続けた私は、金銭面や労働時間である程度妥協する必要がありました。

私はもともとの会社が印刷用紙などの卸業で、所属していた部門が物流関連だったことから仕事内容は運送業との親和性がありました。

しかし、失業当時の私は前職と違う分野への憧れが強かったです。

自分の視野を広げる意味でもいままでと違った仕事がしたい(この考え自体は今でも間違っていないと思ってます)、そして、前職でアッサリ首切りされた事への反発もあり、自分自身の経験と違う分野へばかり応募をしていました。

それで応募したのが工場や商社などの他業種ばかりだったわけです。

辛うじて以前採用していただいた会社も職種は前職と違うものでした(結果的には3日で辞めたわけですが)。

 

そんな状況でしたが、いくら違う仕事を探しても全く採用される見込みが無い現状を踏まえると、

「背伸びしても結果が出ないのだから、自分の経験を活かすしかない」と思い直したわけです。

 

言い換えれば「憧れよりも自分ができることを選んだ」わけです。見方によっては妥協とも言えるかもしれませんが、私も失業生活が長期化していました。

正直に偽らざる本音を言ってしまえば子供たちの学校への提出書類で職業欄に「無職」と書くのがもう嫌になりました…それが一番の理由でした。

 

そんな時に地元の運送会社の求人を見て、仕事内容は運送業だから、前職の経験も活かせるだろう……

何より無職よりはずっといい。

 

そう思い早速応募。そうしたらどうでしょう。

今までの苦労は一体何だったんだ…と、面食らったくらいに

トントン拍子に採用されました。

この理由はただ単に、

「業界的に人手が足りなかった」という当時から現在に続く運送業界の切実な事情があったためで、決して私自身のスペックが高いとか個人の能力を買われたとかのカッコいい理由では無かったと思います。

 

働き方にカルチャーショックを受ける

そんなこんなで、今までの苦労がウソのように呆気なくその運送会社に再就職出来ました。

そして実際に入社してみると、運送業界特有とも言える部分に対して様々な驚きがありました。

 

いちばんビックリしたのは時間的な「自由さ」でした。

 

長年同じ会社でのサラリーマン生活を続けていた私は、

「仕事が終わろうと何だろうと、勤務時間内は会社に居続ける」という

定時出勤 定時退社が当たり前のように身体に染み付いていました。

 

しかし運送業での働き方はちょっと違います。もっとも、会社が変われば働き方はまったく違う部分があるでしょうが、少なくとも私の入った会社はかなり時間的な自由度が高かったです。

 

基本的に、仕事が終わって退社までの時間が余ったら、なんと任意で帰宅OKなんですよ…。

いわゆる「やりじまい」って奴ですね。仕事さえ終わったら帰っていいよ~という事です。

 

時給制に代表されるような「時間で仕事」という働き方ではなく、

「仕事に時間を割り振る」感覚です。ある意味では理にかなっていると感じました。

たいていの人は仕事に対する集中力と効率化が増すように思うからです。

 

割り振られた仕事に全力で取り組み、効率的に仕事を終らせれば自分が得するわけです。私はできるなら一秒でも早く家に帰りたい男ですので、集中して全力で仕事にコミットしていました…早く帰るために。

もっとも安全運行にはとても厳しい会社ですし、制限速度や交通規則は厳守した上での事ですが。

それにしても。「早く家に帰れる」って素晴らしいことだと思いませんか!?

サラリーマン時代は(運送会社だってサラリーマンですが)勤務時間内は自由に退社など出来ないし、それは基本的に早退になるところです。それが全く気兼ねせずに家に帰れるのです。

これは衝撃的に素晴らしい!もともとが無気力で仕事嫌い気質な私にとって、最初はこの働き方に本気でカルチャーショックを感じました。そしてそんな私でも、一秒でも早く帰るために集中して仕事に取り組む姿勢に変わっていくという好循環!

 

もっとも、この「やりじまい」という働き方はメリットばかりでは無くちゃんとデメリットもありまして、

出先での仕事が終わらないと物理的にも帰れない(戻れない)ため、内容によっては長時間労働にならざるを得ない面があります。とはいえ、少なくとも私が経験した時は、さほど極端なケースはありませんでした。

周りがいい人ばかりだった

私は以前、会社の意向で2年間ほど運送会社に出向した事があります。

当時の印象としてはちょっとクセの強い方が割合的には多く、正直に申し上げれば運送会社や業界に対してあまりいいイメージを持っていませんでした。私自身も当時はリストラまでの猶予期間という事で、自分が一番扱いづらい人間だったとは思いますが、それを差し引いてもクセの強い、乱暴な言い方をすれば扱いづらい人が多いという印象でした。

 

そんな経験もあったため入社前は正直けっこう身構えていたのですが、入ってみたら周囲の皆さんがとても親切でした!これは嬉しい誤算でした(失礼)。

 

皆さん基本的にあまり無駄な話はしないものの、必要な事はちゃんとフォローして下さり面倒見がいいのです。

それに、仕事に対する姿勢が前向きで、現場の空気もギスギスせず、いい意味でのゆとりを持った方が多かった。何というか、みなさん普通にいい人なんですよね。私以外は…。

 

それに、運送会社の仕事って言っても多種多様ですし、個人能力が高い人も多い印象を持ちました。

ただ荷物を運ぶだけではなく、ルート選択や作業段取り、顧客とのコミュニケーションや、チーム作業での全体的な進捗管理、チームワークなど、さまざまな面で各個人の能力が問われます。

特にその会社では仕事自体が多種多様だったため、運転だけでなくあらゆる面でスキルの違いが如実に出るという印象でした。

 

私の先輩方(大半は年下でした)はメリハリをつけて働いていました。

仕事がない時は詰め所でスマホゲームに熱中している人たちも、いざ仕事が来ると集中してこなしており、

前向きなモチベーションを感じました。

そんな姿に自然とこちらも刺激され、体力的にキツイ仕事でも頑張れた気がします。

私は数回の浅い転職歴ではありますが、その中で

「一番働きやすく、人間関係が良く、仕事に前向きな環境」を選べと言われたら、

迷わずここを挙げます。

それに、所長をはじめ仕事に対する考え方や取り組む姿勢がとても尊敬できるものでした。

 

それほどいい環境の場所でした。

 

でしたが……。

 

 

私が辞めた理由

そんないい環境の会社でしたが、結果的にはちょうど半年で私は辞めました。

 

辞めた理由を一言で言ってしまえば、

 

「収入が少なかったから」

 

でした。それだけです。

収入以外は本当にいい部分が沢山ある会社でした。私にはもったいないくらいでした。

 

後ろ足で砂をかけるつもりはまったくありませんでした。

しかし、結果的には面倒を見てくださったみなさんの好意を裏切る形になってしまいました。

 

採用された後。たくさん受けた親切な教えと好意。それらを仕事で返すことが出来ないまま半年で辞めたわけです。

さらに、公言はもちろんしませんでしたが、辞めた理由が「収入が少なかったから」というのも、実際にそこで働いている人からすれば失礼な話です。

将来的に収入アップできる方法をそれとなく相談したり模索もしましたが、会社に居たままではどうしてもそれが出来ないことに気づいてしまったのです。実際に当時はもう家計が立ち行かない状況まで追い込まれており、言葉は悪いと思いますが正直に言ってワーキングプアという状態でした。

 

仕事はたいせつですし、仕事に対する情熱も素晴らしいことは否定しませんが、

私自身はなりふり構ってられる状態では無かった。

その結果、わたしは仕事より生活を取りました。

 

まとめとその後の話

ちょうど秋に入社して、半年経ったころに退職しましたので、季節は春になっていました。

春にまた無職になった…以前のリストラでは花見の時期に無職であることが本当に辛かった記憶があったのですが、私はまたしても無職、またしても無職。またしても…と負のスパイラルに再度ハマって行きました。

 

それではまた。

ごきげんよう。

 

追伸:あくまで余談になりますが、私はどういうわけか春になると、今いる場所を飛び出したくなる習性があることに最近やっと気づきました(まるで虫のごとし)。

 

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