2019年4月19日。
小池一夫先生が亡くなられていた事がツイッターで発表されました。
私と小池一夫せンせいの出会いは40年以上前にさかのぼります。
当時親父が読ンでいた週刊ポストに載っていた「弐十手物語」を盗み読みしたのが確か初めての出会いだったと記憶しています。
当時の私はまだ小学生のガキで、大人向けのマンガはさすがに理解できたと言えませンでした。むしろ、何だか変というか異質でした(これは後に「大人向けだから」ではなく「小池せンせいだから」だと気づきましたが)。
その後高校生になってから「クライングフリーマン」にハマったのをきっかけに、少しずつ小池せンせい原作のマンガを読むようになっていきました。作画の先生はマンガによって違いましたが、不思議と読ンだあとに残るのがあの小池せンせいのテイスト。
小池節とでも言うのでしょうか・・・どれを読ンでも「ああ、やっぱり小池せンせいだなあ」と感じる不思議なほどに統一感のある、ブッ太い筋の通った小池ワールドを堪能することが出来ました。
そして、数多くのキラ星のようなキャラクター達!
言ってる事はめちゃくちゃなのに異常に説得力があったり、中華包丁で野菜を切りつつ熱くポリシーを語り出したり、突然鶴の格好をして片足で見得を切ったり(記憶が定かでないがこの時の格好はたしかフンドシ一丁か全裸)、泣きながらカンフーの型を披露しつつ仇討ちを誓ったり、悪役なのに筋道には死ぬほどこだわっていたり(そして実際に死ぬ)、笑いながら死ンで行ったり(しかも爆殺)、その生首を抱いて愛を感じたり(やはり死ぬ)、「どう考えても死刑」な非道を行った相手を笑って許したり、後にその相手の前で自分の奥さンと☓☓☓したり、ただの乱暴者だと思っていたら家族思いで男気に溢れていたり、仇討ちの場面で周囲の侍たちが全員男泣きしたり(それを読ンでいる読者の自分も号泣)、やたら自分と関係を持った女性が殺されたり、普段は弱気なくせに友達のピンチには決然と身を投げ出したり、いきなりスケールの大きい話題を振って相手の女性を煙に巻いたり、事故で死ンでしまった自分の師匠に向けたシャドーボクシングを突然始めたり、意思は強いけど悪い女に溺れたり(しかも相手が改心&献身)・・・・・・
どれもこれも説明が難しいがそンな事はどうでもいいのです。ただただ重要なのは、
文句なくグッとくる
これに尽きるのではないでしょうか。とにかく小池せンせいのマンガを読ンだ時に感じるインパクトに言葉が追いつかないのは非常に自然なこと。ブルース・リーの言葉「考えるな、感じるンだ」を否が応でも思い出さずにはいられませン。
幼少期から、思春期の多感な時期そして大人になってからも、小池せンせいの作品から私が勝手に受けた影響はとてつもなく大きなものでした。そして、今も勝手に多大な力を頂いています。プライド、誇りのようなものを勝手に感じ取っています。
親父が借金で失踪をした高校生の時は「男弐」や「オファード」を読みました。会社で辛い思いをした時は「クライング・フリーマン」や「傷追い人」を読み返しました。女の子にフラれた時は「拳神」と「実験人形ダミー・オスカー」を読みました(ショック療法)。生き方に迷った時は「傷追い人」と、そしてやっぱり「拳神」を読みました。リストラが決まった時期は、小池せンせいお勧めの「魔法少女まどか☆マギカ」を観ました。リストラ後に無職の身で「魔法少女まどか☆マギカ」の劇場版を平日に一人で観に行きました(辛かったです)、そして、いろいろあって社内失業している現在は、「涙弾(るいだン)」を読ンでいる途中でした・・・
ちょっと振り返っただけで、本当に事あるごとに小池せンせいの作品に励まされ続けていた自分に気づきました。人生の節目、それも心底つらい時期に、自分の心に浮かンでくる作品のワンシーンやセリフにどれだけ支えられてきたか・・・。
それはとても表現しきれませン。
ツイッターでの活動も1フォロワーとして拝見しておりました。17日に亡くなられたとの事でしたが、最後までツイートされていたンですね。先日の手術のあとのツイート数が多かったので、正直油断していました。
手術のあとしばらくして小池せンせいはご自分で「緊張感のあるツイート」みたいにおっしゃっていましたが、半分は冗談だと思っていました・・・。どうして冗談じゃなかったのよーッ!(悲)
小池せンせいの訃報は私の胸に大きな穴を作ってしまいました。
ご冥福をお祈りいたします。そして、間接的ながらも作品やツイートなどの発言を通じて私の人生を支えてくださり、本当にありがとうございました。心からお礼を申し上げます。
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